UCC缶コーヒーの思い出
- 2020/05/29
- 17:02

5月27日、スーパーでUCCの缶コーヒーが1本74円で売ってました。
安いので、懐かしくなって買いました。
1969年4月に初めて発売されたので、もう51年間も販売されている。
69年は俺が11歳の頃、6年生の頃。
初めて飲んだのは特急なは、もしかしたら夜行急行天草52号。
小学校3年生の時から弟を連れて熊本県芦北郡田浦町の母の実家に夏休みには帰っていた。
行き帰りは途中で下車せずに熊本まで行ける夜行列車。
熊本駅から肥後田浦駅まではSL(蒸気機関車)が引っ張る普通二等客車。
大阪駅を18時頃に出たら、熊本駅に朝8時頃着いて、そこから2時間。SLの旅。
16時間~17時間もかかっていた。
今は山陽新幹線・九州新幹線で3時間、人類は進歩したねぇ。
熊本の母の実家は田舎で、家族で農業と爺(じい)ちゃんは小舟一艘(そう)のタコ壺漁師をしていた。
と言っても、売るほどでもないので、夜のおかずにタコと時々はぜ(魚)が取れた。
俺も何回か船に乗せてもらって漁に出た。
タコ壺が引き上げられると、タコが飛び出してくる。
タコは船に上がると墨を吐く。
逃げようとするタコを船底の桝(ます:魚を入れる水槽のようなもの)にすぐ入れないといけない。
捕まえれば巻き付いて吸盤が引っ付いて取れなくなるので、痛くて・・。実は怖かった。
船べりから緑色に輝く海が見えた。
底から光が上がってくるような、ゆらゆら光る海。
家に帰ると薄暗く、ランプの生活(これは小学校の4年生以降くらいは電気に変わっていたかな?)
じいちゃんは掘りごたつのある居間の奥で腰かけて大きな湯飲みで焼酎のお湯割りを飲む。
背中には窓が開いていて山から流れてくる小川が流れている。
柿の木が1本植わっていて、窓の下には田んぼで使う杭が重ねて置かれていた。
蝉(せみ)の声が聞こえた。
蝉の声は始めクマゼミのジー、8月はミンミンゼミ、お盆を過ぎるとツクツクボウシ。
ツクツクボウシは熊本との別れを運んでくる。
川のせせらぎは聞こえない。川幅が狭く、流れも多くなかったから。
この川の幅50cmくらいの土手を東に上がって行けば下山政美君と義明君の家があり、
かぼちゃ畑を右に見て、土間から入って、家に上がった。
じいちゃんは田中清(きよし)という。明治生まれの人。
軍隊では炊事軍曹(すいじぐんそう)で、料理を作っていたらしい。
キセルでたばこを吸い、アテもなしで焼酎を飲んでいる。
いつも大きな湯飲み茶わんに寶焼酎を入れてお湯割り。
この居間は玄関の板の引き戸から入り、米を貯蔵する大きなタンク(ドラム缶の大型)がある土間の奥。
高さが60cmくらいの高床になっている。
畳敷で真ん中がテーブル、四方に8人は座れる、下が掘りごたつの和風のテーブルがある。
土間の右は台所。窯が2つ、薪を焚いてごはんやおかずを炊く。
左は仏間。ここは居間と同じ高床になっている。
仏壇は南を向いて北側にあり、俺は弟とばあちゃんに蚊帳(かや)を張ってもらってここで寝る。
居間の右側はみずや(食器棚)になっていて、これは台所と通じている。
ここから料理がでてくる。
タコの刺身。太刀魚の刺身、はぜの煮物、野菜の煮物がいつものおかず。
家族が多いので、どれも丼や大皿に大盛になっている。
家族みんな集まってご飯を食べる。
この家は田舎ではあるが、貧乏ではなかった。
守おじさん以下、勝さん、清一さんの3人は高校まで行かせてもらった。
トイレは玄関の外にある。
夜は暗くて怖い。
肥溜めに板が貼ってあるような昔の便所。
水洗でウォシュレットなんて想像もできないくらいの旧式。
おしりは新聞紙で拭いた。
人間のウンチは野菜の肥料になった。
今から50年前、それ以前はどこもこんな生活を日本人はしてきた。
循環型社会と言えるが、今風には不衛生でもある。
でも自然は循環型で生活できるように作られてきた。
人類の科学と進歩が変えてしまっているけどね。
全然UCCコーヒーの話にならないね。