UCC缶コーヒーの思い出4
- 2020/06/24
- 13:19

肥後田浦駅です。今は肥薩オレンジ鉄道になっている。昔は国鉄鹿児島本線肥後田浦駅。
俺がこの駅を出て初めて大阪へ出たのは4歳~5歳の頃の冬。
大阪駅に着いた時には朝早く暗かった。
母ちゃんが俺と弟を連れて大阪に出た。
大阪で出迎えてくれたのは父ちゃんやった。
しばらく前に大阪に仕事で出ていて、落ち着いたので呼んでくれた。
久しぶりに会ったので、初めは誰かはっきりわからなかった。
きっと真悠に久しぶりに会っても同じように真悠は俺が父だとわからないかも知れないね。
大阪は北区中津に家があった。
建設会社の寮で、いわゆる飯場というところ。
地方から大阪の建設需要の高まりで、会社が大勢を住まわせる寮を作っていた。
俺たちは家族寮で、2軒長屋の6畳と台所の小さな家やった。
周りにたくさんの子供がいて、朝昼晩毎日遊んだ。
そして中津相愛幼稚園、2年生まで中津小学校に通った。
この家は真悠が生まれた後4歳頃まで住んだ中津のマンションの隣地にあった。
今は大きなマンションが建っているけど。
中津の家覚えてるかな?
さて、父ちゃんの生まれた頃の話をしておきましょう。
生まれは昭和33年1月6日、田浦の爺ちゃんの家で生まれました。
生まれる前は母ちゃんは心配してたけど、
村の観音様が夢に逆さま向いて現れ、
「大丈夫、男の子だよ」
と、言ってくれたので安心したと母ちゃんが話してくれた。
父方は橋口。鹿児島県。代々薩摩藩の武士で、爺ちゃんは澄義。曾爺ちゃんは西郷さんと西南の役で一緒に戦った。
母方は田中。熊本県。代々百姓(農家)。爺ちゃんは清。曾爺ちゃんは宇太郎。その上は文字右衛門。
生まれて直ぐに悪いおばあさん(母ちゃんが恨みを持たれていた)が家に来て、俺を抱いた。
以来、ずっと泣いてばかりで体調も悪かった。
ある日京都から来たという修行中の女の行者さんが現れ、
「こっちの方になんか気になることがあると思って来てみたら、この子のことやった」
と言い、駅に近い神社の祠(ほこら)で一晩中お祓い(おはらい)をしてくれた。
翌日、この子には生き霊(いきりょう)が付けられていたが、祓いましたと返してくれたとのこと。
悪いおばあさんは巫女(みこ)をしていたらしい。
生き霊を返されたおばあさんは、苦しんで死んだという。
怖い話やね。
3歳頃のある日、
「かちゃん、お地蔵さんの頭ば洗ってやったぁ」(もちろん熊本弁で)
と、母ちゃんに言った。
家から南へ行ったところに小さいお地蔵さんがあり、頭が汚れていたので、
横の小川で頭を取って洗ってあげたって。
かわいいね。
若い母ちゃんの喜ぶ顔が愛おしいね。
中津は6歳の幼稚園の頃まで居て、そこから城東区鶴見に引っ越した。
鶴見から大阪市バスと阪急電車を乗り継いで、小学校2年生まで中津小学校に通った。
梅田で降りて乗り換えるからいつも阪神百貨店や本屋の旭屋で遊んで返った。
シティボーイやったね。その頃は。
じゃあまたね。
UCCコーヒーは鶴見で通ってた銭湯の隣の雑貨店で見付けて、飲んだ。
やっぱり美味しかった。